MPI Report 001

MP(マインドプロセッサー)の

構築を目指して

「心」へアプローチするための認識論の展望


報告者

深沢孝之


報告日

2018/10/15


概要

Nanasawa Instituteが主宰する、「MPI(Mind Processor Institute)」では、 日本文化、日本精神の根幹である古神道の教えを基盤とし、「情緒」に焦点を当てながら、「意識や心のメカニズム」を「マインド(Mind:心、精神、意識、情緒)プロセッサー (MP:マインドプロセッサー)」として概念化し、 一般に提供することを目指している。

目次

1 はじめに

2 心理学の特徴と困難性

3 精神内界論と対人関係論

3.1 精神内界論:心は身体、脳の中

3.2 対人関係論:心はコミュニケーションの中

3.3 ベイトソンのコミュニケーション・ネットワークとしての心

3.4 MPと心理学的認識論の関連性

4 まとめ

1はじめに

現代の科学的知と、古代日本から継承されてきた叡智の統合を目指す七沢研究所(以下、研究所)では、人の心理的次元も当然、その研究の射程に入れている。特に「人類の意識進化」「イソノミヤ社会の創造」を掲げる研究所として、それらが達成されるためには、人がどのような心理状態(意識、思考、感情、行動等)である必要があるのか、そのための条件は何なのかを研究することが必須である。また、人の心理は日常生活や人間関係と直結するものであるため、具体的に役に立つ実践性や方法も求められるであろう。

ここでは、この意識進化に関連する心理的プロセスを「マインド・プロセッサー(Mind Processor,以下MP)」と名付け、独自の視点から研究していく。本レポート、並びに以後のレポートでは、MPを構築するための足掛かりとして心理学を俯瞰し、MPの課題と理論を提示していきたい。

なお、筆者はカウンセリングや心理療法のための臨床心理学を専門としているため、主にその立場からの考察になることをお断りしておきたい。

2 心理学の特徴と困難性

「自分には心がある」という思いや感覚は、われわれにとっては自明で疑いようのないものであろう。しかし、それを対象化し、研究するのは長く困難とされ、歴史的には、宗教や哲学などで、心について思弁的に考察されてきた経緯がある。現代科学の分野の中で、人の心を研究するのは、主に心理学とされている。しかし心に関連する学問領域は、教育学、社会学、経済学等の人文科学、大脳生理学や医学、進化生物学等の自然科学と多岐にわたっている。

心理学自体も、目に見えない「心」を対象とするため、さまざまな視点やアプローチの違いがあり、いまだに自然科学のような「一般法則」「統一理論」のようなものはない。実験や調査を行い、実証性を重視する基礎心理学でも、結果の再現性の低さが問題になることは多い。

さらに、研究対象によって心理学の理論は異なる。個人か集団か、健常者かなんらかの精神病理を抱えた人か、子どもか大人かなどと対象は幅広い。その対象に応じて「社会心理学」や「臨床心理学」「発達心理学」などと名称が異なり、取り出されてくる知見も違う。したがって心理学の知見は普遍的というより、「領域限定的」である。

しかしそれゆえに、100年以上の歴史を持つ心理学由来の概念は豊富にあり、それらが現代人の考え方や行動に大きな影響を与えているのは間違いない。例えばフロイトの精神分析学における「自我」や「無意識」、アドラーの「劣等感」、エリクソンの「アイデンティティー」やマズローの「自己実現」、最近では「トラウマ」など、私たちは良きにつけ悪しきにつけ、心理学の概念なしに自分自身や他者を表現することが難しくなっている。

したがってMPにおいても、心理学の概念や理論を柔軟に取り入れていくことになると予想される。本稿では、MPを構築するに先立ち、まず心を研究対象とする時の心理学の姿勢や視点、いわば「認識論」について整理しておきたい。

3 精神内界論と対人関係論

3.1 精神内界論:心は身体、脳の中

一般の人や、近代科学的思考になじんだ人は、「心は体の内部にある」と考えがちではないだろうか。体の内部に何か実体のようなものがあって、それが人を動かす、という発想である。これを「精神内界論 intrapsychic theory」という。その昔、心は心臓にあると考えられた時代があったといわれるが、近年は「心は脳の活動の産物である」という考え方が主流であろう。「心は個人の体の中にある」という考えはごく常識的であるように思われる。

この考え方からは、例えば「怒りにかられて殴ってしまった」「つい出来心でやってしまった」「トラウマのせいで異性と付き合えない」といった言い方がよく聞かれる。

臨床心理学において、精神分析学やユング心理学は基本的にこの精神内界論であり、「無意識の衝動が神経症の症状の原因である」「過去の母子関係が不登校の原因である」といった言説がよくなされる。殺人など世間をにぎわすような重大事件があったときに、マスコミが使う「心の闇」という表現も同じである。他にも「トラウマ」「葛藤」「衝動性」「攻撃性」などの心理学的概念は、個人の行動を内界の機能や構造としてとらえているという意味で、精神内界論に分類される(鈴木ら,2015)。

精神内界論による「心の治療」は、ある方法によって内面を探求し、何か問題となるものを見つける作業である。例えば自由連想法などで幼児期のトラウマを掘り起こして意識化させたり、または無意識の奥底にある「真の自己」を見つけたり、といった表現がそれに当たる。 精神内界論による説明は、一見なじみがあり納得感を得やすく、20世紀の心理学の主流を占めてきた。しかし、脳科学はともかく、精神分析学などの心理学的概念には、実証的根拠に乏しいことが以前から批判されてきた。無意識は見えるわけではなく、過去の母子関係も時間をさかのぼって確認することはできない。特に行動科学側からの精神分析学への批判は強かった。治療効果も高くはなく、科学的に証明するのは困難であった。したがって現在、精神分析学などは世界的に退潮傾向にあり、科学的エビデンスがあるとされる認知行動療法が主流となっている。

しかし、精神内界論は一定の説明力はあるので、思想家や文芸評論家など多くの知識人や、スピリチュアル文化に関心のある人たちを魅了し続け、現在に至るまでフロイトやユングの理論は多くの人に親しまれている。

特にユングの理論は「無意識(潜在意識)」「魂」「神話」「シンクロニシティ」など研究所内で行き交う言葉と近いものが多いので、今後両者を照合する必要が出てくるかもしれない。

3.2 対人関係論:心はコミュニケーションの中

人の心の動きを観察する時、対人関係や周囲の環境を無視することはできない。

親が「しつけ」と称して子どもを殴ってしまった場面を想定してみよう。親は「怒りに駆られて子どもを怒鳴ってしまった」と、怒りという感情が原因であるかのように言うかもしれないが、そもそも子どもを自分になんとしても従わせようという意思がなければ怒るはずはない。もしそこに、お姑さんやご近所の人など、誰か第3者が出てくれば、途端に怒りはなくなり、その人には、「あら、どうも」と丁寧な態度をとるだろう。そして、その人がいなくなり、目の前の子どもと再び向き合えば、途端に怒り出す。つまり、怒りなどの感情はやむにやまれず出るものというより、相手次第で出たり入ったり、現れたり消えたりすることがわかる。実は感情は対人関係の文脈を見ながら、コントロールされているのである。

このように見ると、心とされているものは、脳の中だけの現象ではなく、対人関係のコミュニケーションで生じていることは明らかである。個人の行動によって相手の行動が変わり、相手の行動によって個人の行動が変わる。人間は相互に影響し合う対人関係のシステムの中に生きている(野田,1988)。このような考え方を「対人関係論 interpersonal theory」という。また、論者によっては、「場の理論」や「システム論」という概念を使うこともある。

臨床心理学で対人関係論を採用しているものには、アドラー心理学や精神分析学の一部の流派、システム論的家族療法などがあり、認知行動療法もこれに近い。これらは個人と他者、環境との相互作用、コミュニケーションを重視する。アドラー心理学では「人生のあらゆる問題は、結局のところ、対人関係の問題である」と主張している。

対人関係論による治療には多くの方法があるが、治療対象者(患者、クライエント)と周囲の人たちとのコミュニケーションのパターンをとらえて、その変化を試みることが多い。簡単な例では、「学校に行きたくない」と泣きながら布団の中にもぐりこむ子どもに対して、親が怒鳴りながら引きずり出そうと試みても、子どもはさらに頑なに布団にもぐってしまって一向に埒があかないという場合に、親の態度や言葉遣いを変えてみることで、子どもの行動も変わってくる、ということはよくある。

一般に、精神的な不調や、困難を訴える人は、自分の内面に関心が向きすぎている傾向がある。自分の心の中に何か悪いものがないか探し続けたり、自分にとって得かどうかが気になり、「これは私にとって何だろうか」「相手は私のために何をしてくれるだろうか」という考えに陥りがちである。そしてその人が直面している本当の課題から逃げようとする。

しかし、アドラー心理学では、精神的に健康な人は自分の利害だけでなく、相手の利害も考慮すると考える。例えば「どうすればこの状況で、私も相手も幸福になれるだろうか」とか、「われわれのために、私には何ができるだろうか」などと考えることができるのが健康な人である。セラピストは、クライエントが後者のような考え方にシフトできるように、さまざまな心理学的技術を使って援助するのである。

このように「相手の関心に関心を持つ」ことを心理学では「共感」と呼び、共感が発達して「人々に貢献しようという意思」を持つことを、アドラー心理学では「共同体感覚」と呼んでいる。筆者には、こうした感覚が、白川伯家神道でいう「公」への意識の広がりと通じるように思える。公の意識を持つことは、精神的健康へとつながる可能性があると、心理学の側面からも推測できるのである。

ユング心理学のような精神内界論が思弁的でロマンチックなのに対して、対人関係論は実用的、実践的、科学的であるので、神道や宗教とは関係ないと思われるかもしれない。しかし、意識進化のためには、対人関係論的視点により、日常のコミュニケーション空間(4次元時空、第2~3階層)における自分を客観視して、他者とどのような関係を築くべきか、公のためにどうふるまうべきかについて、実践的な示唆を得ることが有効であると筆者は考えている。

ただ、以上の精神内界論と対人関係論の区別は、各心理学派を完全に分けるものではない。精神分析学やユング心理学にも対人関係を重視する要素はあるし、アドラー心理学や認知行動療法にも精神内界論的要素はある。要は理論上の軸足の置き方の違いであることも申し添えておきたい。

3.3 ベイトソンのコミュニケーション・ネットワークとしての心

20世紀半ばから後半にかけて、当時勃興してきたサイバネティクスや情報科学、システム論を使って対人関係論をさらに発展させたのが、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson : 1904-1980)であった。ベイトソンは、人類学者としてのバリ島のフィールドワークから始まって、統合失調症者のコミュニケーション・パターンやミルトン・エリクソンの催眠療法、イルカの言語など、コミュニケーションについて広範囲にわたる研究を行い、「20世紀最大の思想家」の一人と呼ばれている。ここでベイトソンの仕事のすべてを伝えることはできないが、「心とは何か」について重要な示唆を与えているので、最後に紹介する。

ベイトソンは、精神過程(mental process)は「自我」や「脳」の中で完結するものではなく、個人と個人、個人と環境の中で行き交う「情報のネットワークの中にある」と考えた。「人間の唯一真実の自己とは、人プラス社会プラス環境からなる全サイバネティック・ネットワークである」とベイトソンは主張した(ベイトソン,1988)。サイバネティックとは、情報が単に一方向に直線的に流れるのではなく、再帰する(フィードバックする)システムのことである。「円環的」といういい方もする。ベイトソンによると、「私」という感覚、自己意識は、そのネットワークの一点であるに過ぎないという。

これは、「精神とは独立した【実体】ではなく、ひとつの組織化特性だ」(同)という発想である。そして、「精神なるものを、相互に関係し合うすべてのネットワークの回路に見い出す思考形態で、二つの対立したものもフィードバックのループで結ばれた関係として示される」(野村,2008)という見方になる。

このようにベイトソンは、心を個人の身体や脳の中に閉じ込めるのではなく、また条件反応のように他者や環境からの影響を受けるだけの受動的な存在であるとするのでもなく、他者や環境との相互作用、多次元的な情報のやり取りを重視し、心を個人だけではなく、自然環境や宇宙を含めたフィードバックする情報システム(大きな心 big mind)としてとらえる道を切り開いた。

ベイトソンの心の理論は1970年代に著され、その後の心理学や哲学に大きな影響を与えた。「グレゴリー・ベイトソンこそ、デカルト的二元論を超えた科学の全体像を提示できた二十世紀最大の思想家である」と科学史家モリス・バーマンが主張したほどである(野村,2008)。

3.4 MPと心理学的認識論の関連性

MPとしての心の理論を構築するにあたり、精神内界論、対人関係論については双方を参照、統合しながら使うことができると考えられる。

無意識や神話を考察する時は、精神内界論の究極であるユング心理学が参考になるであろう。筆者の私見では、ユング心理学と白川伯家神道の間には、共通点より相違点の方が多く見つかるが、今後、MPや研究所の知見、開発製品等に注目する人々の中には、ユング心理学やトランスパーソナル心理学系の人がいる可能性が高いと思われる。実り多い対話のためにも、今後の研究が必要である。

また、憑依などの精神病理現象を扱うときは、先ず既存の精神医学や精神分析学との対比は必要になると考えれられる。

対人関係論は、具体的に心の状態を改善するときや周波数発振機ロゴストロン用の構文を作成するとき、自己を客観視するときに使えるものが多い。

自己の客観視には、例えば科学的な心理テストの中に使えるものがあるし、アドラー心理学の性格分析のためのカウンセリング等が、筆者の体験では有効である。これはその人の出身家族や人生の歩みを振り返り、子ども時代の思い出や夢などから、その人の生き方や考え方の基本的な枠組みを引き出すものである。

他にロゴストロンユーザーの悩みや課題を解決する際などにも、NLPなどのコミュニケーション・ツールや各種の心理学に蓄積されたワークが多く使えるであろう。

ベイトソンの「システムとしての心」は、自然や地球を含めたエコシステムに心のはたらきを見る点で、まさに神道の「自然の中に神の働きを見る意識」とつながるように思われる。MPの理論的基盤の一つとして、採用できるかもしれない。

ただ、ベイトソンの理論は難解で知られるので、今後もさらに研究を続けていきたい。

4 まとめ

臨床心理学における、人の心にアプローチするための考え方、認識論を整理し、MPとの関連性、統合の可能性を考察した。

複雑な議論をコンパクトにまとめたので、かえってわかりにくくなったかもしれない。今後はより具体的に詳しくここで解説したり、より分かりやすい理論を示せるようにしていきたい。

そして、さらに心に関する諸科学を網羅、整理し、MPの構築を進めていきたい。

引用文献

鈴木義也・八巻秀・深沢孝之(2015):アドラー臨床心理学入門.アルテ

野田俊作監修(1998): アドラー心理学教科書.ヒューマン・ギルド出版部

グレゴリー・ベイトソン、メアリー・キャサリン・ベイトソン(1988):天使の恐れ.星川淳・吉福伸逸訳,青土社

野村直樹(2008):やさしいベイトソン コミュニケーション理論を学ぼう!.金剛出版