MPI Report 002

マインド・プロセッサ-の構築を目指して・2

「結び」の思考とベイトソンの認識論

報告者

深沢孝之


報告日

2018/11/15


概要

マインドプロセッサー(MP)の基礎理論を構築するにあたり、ベイトソンの関係性の認識論を取り上げる。情報ネットワークの中に精神過程を見る発想は神道的世界観との共通性が認められる。また、物事、現象間の共通性を見出すアブダクションという思考法は、MPI並びに七沢研究所(以下研究所)の姿勢と共通する。さらにベイトソンが残した課題に研究所が取り組んでいることを指摘した。


目次

1. はじめに

2.ベイトソンの認識論

2.1.関係の中に立ち現れる心

2.2.アブダクションと結びの思考

2.3 ベイトソンの宿題:意識と美、聖

3.まとめ

1. はじめに

前回のレポートにおいて、心というものを理解するための心理学的態度(認識論)として、「精神内界論」と「対人関係論」という立場を紹介した。そして最後に、現代臨床心理学の転回点となったベイトソンの関係主義的認識論に若干触れた。

昔の日本人は、和歌によって心を表現したと伝わるが、現代の我々は、自分や他者の心を表現する時に、心理学由来の概念を使わずにいることは難しい。「無意識」や「トラウマ」、「劣等感」などは今や心理学用語というより日常語になっている。

実際は、心理学の世界である概念が発案され、研究され、認められてから一般に広がるまでには時間差がある。したがって一般の多くの人はいまだに、フロイトの精神分析学由来の精神内界論的発想で心をとらえているように、筆者には思われる。

しかし精神内界論は、自己と外界、身体と心を分けるデカルト的二元論の世界観が前提となっている心の見方と言える。

それに対して、対人関係やコミュニケーションを重視するアドラー心理学や認知行動療法の発想は、最近ようやく一般にも知られるようになってきた。ストレスが極めて高い現代社会の中で、より効果的で科学的な心理学へのニーズが高まったことがあるかもしれない。

しかしなお、70年代のベイトソンの研究から発展したシステム論的な心の理論や、さらにそれをポストモダン思想で洗い直した「ナラティブ」などの概念を一般の人が口にすることは、まだほとんどないだろう。

MPI(Mindo Proccessor Institute)として、脳神経科学の進歩と共に、次々と発表される膨大な心理学的知見を網羅し、取り入れることは大切である。しかし、マインドプロセッサー(以下MP)の心理学的説明知を高めるためには、その基盤となっている思考様式、いわばパラダイムを俯瞰することも必要と筆者は考えている。

また、七沢賢治代表は昔カウンセリング心理学を深く学んで実践しており、5階層構文などに心理療法の理論や方法を取り入れていることがうかがえる(七沢,2012.佐々木,2008)。

したがって、現在加速する研究所の展開には追いつくのは容易ではないが、既存の心理学の理論をある程度網羅することで、MPの基礎を構築したいと考えている。

そこで本稿では、前回に続きベイトソンの認識論を補足し、その思考の特徴と神道的世界観の類似性を指摘し、さらにベイトソンの残した課題から、MPの可能性を展望したい。

2. ベイトソンの認識論

2.1.関係の中に立ち現れる心

前回のレポートにも述べたように、ベイトソンは20世紀後半に発展した情報科学やサイバネティクス、動物行動学を取り入れた認識論を展開した。それは19世紀の物理学をモデルにした精神分析学とは対照的であった。心の科学を目指す心理学は常に、その時代の先端科学をモデルにするところがある。ベイトソンが交流した科学者の中には、サイバネティックスのノーバート・ウィナーやゲーム理論のジョン・フォン・ノイマンなど、当時のそうそうたる科学者たちがいた。

その研究の中でベイトソンは、精神過程(mental process)の定義を試みている。その議論は長いものだが、まとめると、精神とは「自我」や「脳」の中で完結するものではなく、個人と個人、個人と環境の中で行き交う「情報のネットワークの中にある」ということである。

「人間の唯一真実の自己とは、人プラス社会プラス環境からなる全サイバネティック・ネットワークである」(ベイトソン,1988)と、ベイトソンは述べた。

「私」という感覚や自己意識は、そのネットワークの一点であるに過ぎない。心を持っている自己と持たない世界があるのではない。自己と他者は本来、二項対立的に断絶しているのではなく、行き交う情報のより大きな「心の動き」の中にある、という発想である。

「己も神も悪魔もネットワークの中に内在し、その外側には、つまり「生物+環境」(それがここでいう自己の意味だが)を離れて何もない」と人類学者の野村(2008)は、その発想を解説している。

そして、その精神そのものである情報のコミュニケーション・ネットワークは、音声や文字言語だけではなく、非言語(ボディーランゲージ等)や、細胞・神経レベルなど多元的に働いている。しかがって個人が自覚できない心のレベルもある。

健康な人は他者とのやり取りの中で適切に相手のメッセージを読み取り、行動できる。だが精神の病に陥ってしまった人は、他者の言語・非言語のメッセージの意味を読み誤ったり、矛盾したメッセージに混乱していしまいがちである。ベイトソンは、その代表的な姿を統合失調症者に見い出し、そこで起きている現象を「ダブルバインド(double bind : 二重拘束)」と呼んだ。

科学思想家として有名になった70年代、カリフォルニアに住んでいたベイトソンに、噂を聞きつけた若い科学者や知識人が多く集まり、対話が重ねられた。土地柄や当時の時代風潮もあり、ベイトソン自身も禅や東洋思想に関心を持ち研究したと言われる。そして1980年に、サンフランシスコの禅センターで亡くなった。享年76歳。

ベイトソンの後もアメリカの臨床心理学は、その影響から、様々な心理学理論やセラピーが次々と開発された。

例えば、カウンセリングというと、クライエントとカウンセラーが一対一で向かい合って悩み事を話すというイメージが一般的にあるかもしれないが、必ずしもそうではない。親子やカップルなど複数の人と同時に面接する方法が開発されたり(家族療法など)、過去のトラウマ的な原因を探すのではなく、その人が望む未来のイメージを先に作ることで短期間に治療する方法が開発された(ブリーフセラピーなど)。これらの新しいセラピーはみな、ベイトソンの共同研究者たちがルーツになっている。

また、ベイトソンと仲間たちは、天才的催眠療法家・ミルトン・エリクソンのコミュニケーションも研究し、その一部がNLPなどに発展したと見られる。

ベイトソンの影響下に、従来のセラピーのように無意識の過去の原因を探るのではなく、現在や未来に視点を移動させたり、様々なコミュニケーションのチャンネルを複雑に利用する方向に、サイコセラピー全体が進化したのである。

さらに近年では脳科学や東洋思想との融合が進み、マインドフルネス瞑想など、MPに近い領域が展開されている。

このように現在に至るまで欧米の知的社会に大きな影響を与えたベイトソンの認識論だが、では、我々日本人にとって、とりわけ白川伯王家を学ぶ私たちにとっては実際、どうであろうか。むしろ、ベイトソンが言うように、自分を含む周囲の環境とのやり取り中に心の動きを感じ取るのは、「ごく自然」「当然」という思いを抱く人が多いのではないだろうか。

「己も神も悪魔もネットワークの中に内在する」というのは、自然や環境の中にいる自分と他者は、本来は大きな精神の働きの一部である、ということである。

自己と世界を二項対立的に分ける西洋的世界観、いわゆるデカルト的二元論を超えようとして悪戦苦闘した現代思想家たち、その先駆けとなったベイトソンの到達した認識論は、むしろ神道的世界観に近づいたと筆者には考えられる。

ただ、ベイトソンや一般の心理学は、そのコミュニケーションの範囲を、この自然世界(4次元時空)に制限していて、それ以外の次元はないものとしている。これは科学を目指す心理学の限界である。

しかし研究所では、心理学とも他の神道とも一線を画して、自然だけではなく、機械とのコミュニケーションも積極的に推進している。例えばロゴストロン周波数発信機と個人の意識とのコミュニケーションである。さらに意識を階層的に上がることで、日常言語になる以前の未発の「ことば(言霊)」とのコミュニケーションも想定している。

私たちは、ベイトソンの心の理論を超えた世界に踏み出していると言えるだろう。

2.2 アブダクションと結びの思考

ここで、ベイトソンの認識論のキーワードを一つ取り上げたい。彼は、あらゆる物事のつながり、コミュニケーションのパターンを見定めようとした。その際に使ったのが「アナロジーによる思考」であり、「アブダクション abduction)」とよばれる。ある物とある物の形体の構造や、異なる現象の相互作用の間に同じようなパターンや規則性を見い出すことである。

例えば、カエルの構造と他の生物の構造との同型性に気づく、というようなことである。帰納法の一部と言われることもあるが、アブダクションは創造性につながる思考と言われることもある。

ベイトソンは次のように言っている。

「ある記述における抽象的要素を横へ横へと広げていくことをアブダクションと呼ぶ。読者はこれを新鮮な目で見て欲しい。アブダクションが可能だということ自体、少々薄気味悪いことである上に、そのアブダクションが思いもよらぬほどの広大な範囲にまで広がっているのである。

隠喩(メタファー)、夢、寓話やたとえ話、芸術の分野、科学の全分野、すべての宗教、すべての詩、トーテミズム、比較解剖学における事実の組織―これらはみな、人間の精神世界の内部で起こるアブダクションの実例、もしくは実例の総体である」(ベイトソン,1985)

このアブダクションを使ってベイトソンは、統合失調症者の表す一見矛盾したコミュニケーションと、カワウソなどの動物同士の遊びを比較したり、多岐にわたる研究をした。

これはまさに、古事記の神々のストーリーと現代物理学などの最先端の科学理論に類似性を見い出そうとする研究所の姿勢と重なるように思われる。私たちは、アブダクションを極限まで実践していると言えるのではないだろうか。。

ベイトソンは、アブダクションから見えてくるものを、「結び合わせるパターン」と呼んだ。違う領域の現象でも共通のパターンがあれば、それを相同のものとして結び合わせて考察した。これも神道の「結び」の発想にかなり近いように思える。

2.3 ベイトソンの宿題:意識と美、聖

しかし生涯、自然科学者としてのアイデンティティを捨てなかったベイトソンは、それ以上の世界に踏み込むことはなかった。「超自然でもなく、唯物論でもなく」が彼のモットーであった(ベイトソン,1988)。

ともすれば「神秘主義」と体制側の科学者や思想家から批判されがちであったので、ベイトソンはひときわ慎重に、科学的姿勢を崩さなかった。そのため、その理論は、いたずらに難解になってしまったきらいがある。時代的な制約もあったであろう。

そのため、彼が最も重要な問題であると認識しながらも、踏み込まなかった領域があることを彼は認めている。

それは「意識」と「美」、そして「聖」である。

「美と意識、この二つは触れられざるに大問題だよ」

「しかし神聖さということも抜かしてはいけない。これもこの本で扱わなかった問題だ」(ベイトソン,1988)

と、娘との対談という形で語っている。

意識とはなんであるか、美はどうして生じるのか、神聖さとはどういうことか、ベイトソンは自然科学も人文科学を見渡しても、いまだ答えは出ていないと考えていた。それを晩年のベイトソンは、「天使が降りるをはばかるところ」と呼んだ。いたずらっ子の天使でさえも、足を踏み入れることをためらってしまうほどの微妙で難しい領域ということのようである。

しかし、MPIのみならず研究所の諸活動は、意識の問題、美の体感的教育、情緒への注目など、既にそこに踏み入れている、あるいは踏み入れようとしていると言えるかもしれない。

昔ベイトソンが触れられなかった領域に、ようやく触れようとしているのである。

長年ベイトソンの理論、思想に親しんできた筆者には、研究所が、古神道と現代の最先端テクノロジーを統合させることで、彼が残した課題を引き受けようとしているように見えるのである。


3.まとめ

ベイトソンの理論、思想の要点とMPとの関連性を考察した。

人と他者、自然、世界との相互作用に「精神過程」を見出すベイトソンの理論は、神道的世界観との共通性があることを指摘した。

またアナロジーによる思考法、アブダクションは異質の物事、現象間に「結び合わせるパターン」を見い出そうとすることであり、研究所の思考法とも共通すると考えられる。

しかし意識と美と聖というベイトソンが解決できなかった課題に、研究所はベイトソンができなかった多次元的なアプローチをしているといえる。

MPは神道を背景にした心理学であり、きわめてユニークな姿になると予想される。しかし、現代思想や心理学に大きな影響を与えたベイトソンの認識論との共通性を見ることで、必ずしもMPはそれらから断絶しているわけではないことを示すことができると考えられる。

今後研究所の知見、技術が一般社会に浸透し、海外での展開を進めていく際、専門的な議論を要する場合などに、以上の考察は参照できるかもしれない。

ただ今回も、複雑な議論を単純化したので、かえってわかりにくさがあったかもしれない。関心を持たれた方は、野村(2008)などの入門書に当たっていただきたい。

もちろんベイトソン以外にも、MPとして採用できる学知はあるであろう。今後もMPにかかわると思われる心理学や人文諸科学を幅広く研究して、取り上げていきたい。


引用文献

七沢賢治(2012):言霊設計学.ヒカルランド

佐々木重人(2008):天皇祭祀を司っていた伯家神道.徳間書店

グレゴリー・ベイトソン(2018):精神と自然.佐藤良明訳.思索社

グレゴリー・ベイトソン、メアリー・キャサリン・ベイトソン(1988):天使の恐れ.星川淳・吉福伸逸訳,青土社

野村直樹(2008):やさしいベイトソン コミュニケーション理論を学ぼう!.金剛出版