MPI Report005

MPIプログラムの概説1

報告者

七沢智樹

報告日

2019/1/15

概要

MPI(Mind Processor Instituteでは、日本文化、日本精神の根幹である古神道の教えを基盤とし、「情緒」に焦点を当てながら、「Mind(マインド:心、精神、意識、情緒)プロセッサー(MP:マインドプロセッサー)」として構築し提供することを目指しています。

本レポートでは、日本文化における自己超越の視点「神」「公」へのアプローチと共に、「私」の視点から、自他存在と他者存在不確定性の肯定についてのアプローチによって、主体と客体・神と人・私と公の統合を目指すMPIプログラムの意義について解説しています。

目次

1 はじめに

2 日本文化における自己超越:「公」という「神」の視点

3 自己超越へマインドからアプローチするMPIプログラム

4 神魔人獣という考え方

5 まとめ

1 はじめに

Mind Processor Institute (以下、MPI)では、 neten Inc.R&D Center(旧七沢研究所) におけるマインドや心理学、認知科学や哲学的要素も含めた研究の成果を統合し、実践的にマインドの働きの最適化を目指します。

アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求を五段階で説明した自己実現理論が有名です。彼は晩年に、六番目の欲求として自己超越を挙げていました。自己超越とは、自分だけでなく、他者も豊かにしたい、という欲求です。MPIでは、この自己超越にいたるプログラムを提供いたします。

2 日本文化における自己超越:「公」という「神」の視点

2.1 日本文化の中にある自己超越の鍵

「自分だけでなく他者も豊かにしたい」というマズローの言う第六段階の「自己超越」の状態。「人は本来神である」という惟神(かんながら)の教えが日本の神道にはありますが、「神」とは端的に自己超越の状態を指し、私自身が、「私(わたくし)」を超えた「公(おおやけ)」という存在でもあるということを表現している、というのがneten Inc. R&D Centerの見解です。

それは人と神、私と公という、本来同じ階層では存在しえないものを、ひとつとして捉え、その両方を人の中に見ることです。神と人とをひとつにとらえているというのは、ある意味では未分離、未開発な状態のように見えますが、実は神の階層と人の階層それぞれを高度に使い分け、その知識を文化、伝統という見えない形で継承し、保持してきたのが日本文化であり、日本人だったといえます。

私たちは、そこに自己超越の鍵があると考えています。

日本文化の中にある神と人、公と私の統合は、たとえば言語の表現では祝詞、術(技)であれば武道、華道、茶道、弓道といったあらゆる「道(みち)」の中に表現されています。これらの「道」を通じて技術や技量を究めていく過程において、その根幹にある精神性や文化をつかむことができます。

私たちは、古神道の中でも平安時代からの長きにわたり宮中祭祀を務めた公家である白川伯王家の教えである「おみち」を実践し、研究してまいりました。そして、「みち」を究めるという鍛錬を通して、神と人、公と私とが自在に織りなす日本文化の神髄を追求しています。

日本文化は元々「言挙げせず」といって、言葉にしない文化ですので、あらゆる道の教えはすべて口伝であり、しかも細かく説明するようなものでもなく、以心伝心のような形で伝えられてきました。私たちは、その文化のエッセンスをプログラム化することを意図しています。なぜなら、日本人だけにとどまらず、世界人類にとって、自己超越というテーマは重要であると考えられるからであり、そのためのプログラムが必要なのです。

「道」の中でそれをそれぞれが体感を持って体得してきたのが、これまでののあり方ですが、現代においては「道(みち)」という文化が日本においても忘れ去られつつある中で、私たちはその教え自体を現代的な、西洋的な思考技法、モデリングの考え方を使い、それをプログラム化し、システムとして全人類に提供可能な状態にすることが、この21世紀、そして22世紀に向けて必要なことであると考えています。

2.2 神道における自己超越の視点と哲学の統合

今後のさらなる研究が必要ですが、その神道における自己超越の視点は哲学における主客統合という一つの最難関の問題の解消や、生と死の超越といった問題を解消しうる哲学的なフレームワークを提供しうるものであると私たちは捉えています。世界の諸問題の根源にある、二項対立の思考を超えたところにある答えが、まさに日本文化の中にあると考えています。

また、文化の継承が途絶えつつあったとしても、主客を統合し、私と公、人と神を自然に統合して思考する脳の働きを生む要素は日本語の中にあると考えているため、日本語がある限り、民族に関係なくそれを体得できると一方で考えています。

3 自己超越へマインドからアプローチするMPIプログラム

3.1 MPIプログラムの意義

こうした前提の中で、それを神道の教えをプログラム化するにあたり、マインドに絞って展開するのが Mind Processor と言えます。マインドとは、日本語では「心の動き」「何かに対する姿勢」「心のありよう」として一般的には捉えられています。メンタルというと、精神面であったり、心に関するものを指します。

マインドというものを心の働きと捉え、人間という存在は心が宿ってはじめて存在するので、心の働き自体が人間という存在の根幹であり、人間の認知・認識・知覚の根幹である心の働きをプロセッサー(処理装置)と捉えることによって、物質と心、主客の統合、私と公、人と神の統合を可能にするプログラムを開発するのが Mind Processor の意義です。

Mind Processor は自己超越にいたるためのプログラムですが、そのときに最初にテーマになるのが、繰り返しお伝えしている生と死や、神と人、公と私といった、究極的な、あるいは一見相反する要素をひとつのものとして再統合する方法です。それを自己超越側と自己存在側の両方からアプローチします。

その際に重要となってくるのが、「自己」「他者」「家族」「社会」そして、それを超えた視点(例えば、公の視点)の獲得です。MPIのプログラムをご紹介していきます。

3.2 MPIプログラム:自己存在と他者存在の肯定

まずひとつめのポイントは、自己は存在するということです。「私が存在しない」という人はいません。この話を読んでいるみなさんの中で、「いや、私は存在しない!」という方はいるでしょうか? いないはずです。

一方で、私心を排したり、あまりにも苦しい現実の中で私という存在を消す、ないしは私というものをなくす、ということをしている人はいると思います。けれども、その場合も「私心を出すべきではない」と考える私がいたり、苦しんでいる私います。私がいない人はいません。私が存在するから、この話を理解しています。

また、みなさんの中に、「他者」を認識していない人はいないはずです。もちろん、「他者のことを理解できない」「理解したくない」「他者と接したくない」と、心を閉じている人はいるでしょうし、他者が存在していない、と心の中でしている場合はあると思いますが、そのようにマインドを閉じているというだけであって、やはり「他者」は存在します。

たとえば、今、この文章を紙面上、あるいはディスプレイ上で読んでいるとすれば、必ずその紙やディスプレイを作った人、あなたの元まで運んだ人、そして何よりこの文章を書いた人が必ず他者として存在していますし、その存在を認める必要があります。

3.3 MPIプログラム:他者存在の不確定性肯定

一方、その紙を誰がつくったのか、この文章を誰が書いたのか、100%の確立で確定することはできません。この文章は七沢智樹が書いた(あるいは、口述筆記をした)であろうということは推測されますが、違う人が書いているという可能性もあります。このように、常に、他者という存在は不確定性の中にあります。

この世界が不確定なものである、ということがすべての不安や恐怖の原因になっていると言えますが、「この世界は不確定性を持つ」という構造を理解することによって、さまざまな外界の認識の問題が根本的に解消します。自己超越において、他者存在の肯定、他者の不確定性の肯定が鍵になります。

3.3 MPIプログラム:家族の肯定

さらに、家族がいない人はいません。今、家族がいない人もいると思いますが、みなさんの中でお父さんがいなくて生まれた人、お母さんがいなくて生まれた人はいないはずです。何らかの理由で一緒に過ごしたことがないとしても、みなさんが存在するためには、家族が存在していたはずです。

しかし、心の中で「その人は本当の父ではない」「あの人は本当の母ではない」というように、父の存在や母の存在を否定している人はいるでしょう。

また、あなたが人生の使命だと確信していることを、あなたの父母が理解しない、ということは往々にしてありますし、「この人は私を理解していない。だから、本来なら私のすべてを理解してくれるはずの父や母ではない」と思うこともよくあります(実際には、どのくらいあなたを理解しているのかということと、父と母ということの意味は関係ありません)。

あなたの本来の使命を理解してくれない父母に対して、その使命を理解し、家族のように接してくれる他者もいるでしょう。それは家族のような仲間として存在しているかもしれません。その仲間はあなたにとって家族的集団となるでしょう。そのような集団が、実際に家族として発展することもあるでしょう。そうした存在を否定することはできません。民族的にも家族が社会形成の最小単位であり、そこから人類は社会を発展させていきました。

3.4 MPIプログラム:社会の不確定性肯定

また、社会においては、知らない他者が、背景に常に登場しますので、不確定性は極限値に高まります。これが多くの精神疾患の原因となっています。そこを超える端的なあり方は、「公」です(MPI Report004 公の精神と問題解決のプロトコル

3.5 MPIプログラム:自己超越

こうして、「自己」「他者」「家族」「社会」の存在肯定から展開し、「他者」や「社会」の不確定性を肯定していくと、自己超越という視点は、「私」や「他者」という存在を超えたところに存在していることがわかります。

そして、すべてはプログラムとして存在し、自分というひとりもそのプログラムの一部であり、「私」という存在が完全に存在しないという視点が自己超越の中にあります。それは全体をシステムとして捉えるときにはじめてその視点を得ることが可能となります。つまり、自己存在肯定の視点と、自己超越の視点の両視点が必要なのです。

4 神魔人獣という考え方

「自己・他者の存在」を肯定し、「他者や社会は不確定である」ことを肯定することが人としての視点であり、超越が神としての視点であるとした上で、人から神に至る過程で、人の視点が実、実在する肯定の視点だとすると、虚の視点であり否定の視点が魔的な視点です。そしてそれを超えて神の視点にいたることができます。

一方で、神というのは超越の視点であり私(わたくし)がなく、私と公、人と神の区別すらない視点なので、それが逆に未分化、未認識、未発達な意識の状態と似てきます。それが第三階層的な視点と第五階層的な視点の混同です。現代でも続く狩猟採取のような未分化な社会や文化の中に、これからの社会の姿を見出してしまうことが往々にしてあり、それはコミュニティを生み出すことがありました。しかし、本来は神の視点を社会において実現するためには高度化されたシステムを前提にする必要があります。それが第五階層の話です。

つまり、人というところから魔的なものを理解し、それを超えた神をつかみ、一方でその神が獣の動物的なところに落ちないように、神をつかむということが構造的に必要であるということが導き出されてきます。

5 まとめ

本レポートは、現在開発中のMPIプログラムの意義を中心に、日本文化的見地から自己超越について解説しました。A・マズローは五つの基本的欲求がすべて満たされた状態を「自己実現」とし、その限界から次の段階を「自己超越」としています。MPIプログラムでは、自己実現の視点を「人」「私」とし、自己超越の視点を「神」「公」とした時、この両視点を同時にアプローチすることにより、二項対立思考を統合し、そこから神をつかむ(自己超越)境地にいたることを目指しています。

さらに、あらゆる情緒が網羅されている「神魔人獣」の観点(自己存在超越により「神」の視点、自己存在肯定により「人」の視点、自己存在未認識により「獣」、自己存在否定の視点を「魔」)を、階層的・構造的に理解し、網羅することで、neten Inc.R&D Centerが掲げている「人類の意識進化」に貢献すべく、心の働き・意識であるマインドの最適化をはかるプログラムの構築と共に、さらなる理論モデルや技法も提唱できるようにしていきたいと思います。